「こんな交流があった少し昔」
シルバーウィークの余韻さめやらぬ、9月最後の日曜夜。
ふ~~、さすがに昨夜は、0時半過ぎにはねぐらへの帰途。
途中、公園から、悲鳴?いや、猫の鳴き声?
が聴こえたような・・・・・・・・。
いつもは意識もせずに通り過ぎる場所が、昨夜は、一転“妖しい”空間に・・。
さて、あれ~~~、今朝は蚊のおかげで、目が覚めてしまいました・・・・
仕方なく開く、28日付南日本新聞。
「ひろば」欄
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こんな交流があった少し昔
コンビニ店員 鈴木五郎(41)
私は20代前半の3年間、トカラ列島・宝島に住んでいた。当時、毎週金曜夜、青年衆
が体育館に集まって、バレーボールを楽しんでいた。当時、日赤鹿児島病院による月に
1度の巡回診療があり、ドクターは、1泊、島に滞在していた。
あるとき、バレーボール好きなドクターが、島にいらっしゃった。好きなだけアタッ
クができると思われて、青年衆の輪に加わったはずなのだが、あえなく敗退。負けず嫌
いのドクターは、次の来島時、セッターができる看護師さんを同道された。だが、青年
衆から返り打ちされた。
「医師不足」が、出水地区でも深刻な問題となっている。情緒的と批判されそうだが、
昔やっていたドクターと地元住民のふれあいに、難問を切り崩すヒントはないだろうか。
ところで、負けず嫌いのM先生、お元気ですか。
(出水市)
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オレ、このネタ、何ヶ月前に投稿したっけ?
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察するに、南日本新聞「ひろば」欄担当者が使うパソコンには、投稿者ごとに細かく
フォルダが作られており、特に“投稿常連者”からのメールなり、原稿は、的確に管理
されているのかな・・・・・。
8月の「ひろば」(投書)欄といえば、全面『「平和」を考える』ネタで占められ・・・。
その間にも、私は地道に「地域医療を考える」ネタを投稿し続けたつもりだったのですが、
採用されたのは、その中でも、最も“軟派”なネタでありましたか・・・・・・。
“常連投稿者”としては、うん!だっから~!!!、アメリカにおける「地域医療を守る
運動」に、日本の地方においても、学ぶべき点は多いのでは?という問題提起をしたいン
ですよ!!!
ですから、どうか、皆さま、大笑いしてくださいナ。
“常連者”と「ひろば」担当者さんとの、息詰まる駆け引き・・・・・。(いえ、ですから、それが“常連者”の一方的な片想いであったとしても)
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