「イギリス坂」を思い出す
朝冷えの 出水の町で すれ違う
高校生の 清々しさか
自転車を漕いだ見知らぬ高校生に、
「おはようございます」と挨拶されて、追い越されました。
挨拶って、とっても単純なんですが、やっぱりイイですよね。
(それが女子高生だったら、なお・・・・・というのはオイトイテ・・
そして、「いらっしゃいませ」という“業務用挨拶”とも区別
シテデスネ・・・)
さあ、新年も(!)、私は『売り』で初参戦!!!!!
・・・・って、見事に含み損中・・・・。
これでも、昨夜は含み益だった時間帯もあるんですが・・・・・・・〇| ̄|_。
指値をして出勤しなければならない普段の日と、休日の“理論上”一晩中、
画面をにらめっこすることが出来る日の、使い分けが出来たらな・・・・・・。
さて、わが赤っ恥をさらしますが。
近頃は、新聞を開くのすら億劫で。いたずらに、新聞紙の山を築いておるばかり
なのですが。
ふと目に留まってしまった、今朝(4日付)の南日本新聞一面。
・・・・・・ひょいと思い出してしまったのは、宝島の「イギリス坂」。
幕末の時代、宝島近海にも、イギリスの捕鯨船がしばしば姿を現していたようで。
そのうちの一隻が、乗組員を宝島に上陸させて、燃料・食料の補給を目論んだとか。
当然のことながら、島民・乗組員の間で、穏便に意思疎通ができるはずもなく。
島津藩の在番役所の役人が、火縄銃を撃って、イギリス人を射殺。撃退したとか
(スミマセン。詳しい経緯は、改めて検索して調べてみられてくださいますよう・・・m(__)m)
もっとも、自分が宝島に住んでいた当時、島のお年寄りが語るには
「それは、島津藩の役人がやったことであって、島の衆は関係ない」
でしたが。
ある意味、離島は再び“幕末の時代”へと、後戻りしているわけで。
そして、ある意味、離島のお役所関係の方々にとっては、
財政緊縮が進む中で、これほど強力な“追い風”はないわけで。
『防人論』。
う~~~ん、なぜ南日本新聞がこの記事を一面に持ってきたのか?と想像すると、
普段「ケッ!、南日本新聞なんて、クズ新聞!!!」
とうそぶいているヤツとしては、とても悔しいのですが、
私も、離島が置かれている現状を“危惧”します。
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