朝顔を栽培するのって、小学1年生でしたっけ?
夏休み。家に持ち帰り中かな・・・・
さてさて。
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本日7月30日付ネタ
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再び、公共交通がある幸せと地域間の不公平を考える
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こんにちは、勝間和代です。
最近は交通インフラの整備に関わる仕事が政府関係を中心に増えているため、日々の
交通活用の際に、いつもそのメリットとコストを考えてしまいます。
たとえば、都内ですと東京メトロや、都営地下鉄が自由に使えるわけですが、これは、
兆円位の投資が必要です。特に都営地下鉄は、東京メトロではなかなか採算に乗りに
くい地域を中心に都が税金を使って支出を行って作ったものです。
私は幼少期から、たまたま都営地下鉄の沿線に住んでいて、通学その他にずっと使って
いましたし、いまでも都営地下鉄のヘビーユーザーです。
しかし、よくよく考えると、東京都は企業も、富裕層もいるから税金が潤沢であり、大
江戸線のような、とてつもない投資が出来るわけです。そして、多くの都民は、私を含
め、そのインフラにフリーライドできます。
一方、ほとんどの地域に地下鉄は存在せず、移動はすべて、自家用車かバスに寄ること
になります。これはコストもかかりますし、事故率も上がりますし、保有コストも高いです。
結局、都市に住んでいるということが、さまざまなインフラを活用できるというメリットを
もたらしてしまうため、多少家賃が高くても、みなそこに住み続ける、あるいは、移住して
くると言うことになります。
すわなち、都市にいると公共交通を使うことが当たり前であり、マイカーは簡単に手放せま
すが、地方だと、マイカーなしでは暮らせないというアンバランスを招くわけです。
このアンバランスを解消するには、道路とバスの整備くらいしか私にはすぐに思いつかない
のですが、やはり、もっともっと、都市部の人は、地方部の道路や公共交通整備にコストは
かかったとしても、それを非難するのはバランスを欠いているのではないかと思いますが、
いかがでしょうか?
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普段は“他愛もない”ゴルフ上達の方法等をネタにされている時もあり。
ですから、このメールマガジンは「仕事」ではなく、プライベートな「日記」なような
ものであると、解釈しているのですが・・・・。
イヤイヤ、こんなことを書いている勝間さん自身、公共交通が十二分に発達した都心暮らし
であるはずなのに、実はマイカーをお持ちのようで。
都区内なんて、それだけ公共交通が“発達”しているのであるとしたら、あれだけ四六時中
渋滞状態であるのは、なぜよ??
(いや、モチロン、物流関係のトラック等が集まってくる・・・という要因はあると思いますが)
結局、公共交通だけでは“移動の自由”の満足度を充足させられない・・・・と。
もちろん、自分なんぞは、マイカーを持つ意思は、ございませんが。
勝手なもので、
曇り空続きだと、真夏の青い空とギラギラの陽射しが欲しくなってしまうのですが・・・、
トマトなんて、スーパーの青果売り場では、一年中並んでいるものですが、
でも、やっぱり完熟トマトの赤い色って、真夏ならでは、ですよね・・・・。
そして、今夏初めて目撃、
心置きなく、鳴くことは出来た?
そしてそして、家から柏駅までの道すがらの、ある御宅。
ご主人が、毎日丹念にお手入れをされているお庭にて。
・・・・・で、思い出したのは、太宰治の短編『ア、秋』。
青空文庫より、一部引用させて頂きます。
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秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、
桔梗
の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの
炯眼
の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い
曲者
である。
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ごろごろ
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