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2010年1月 7日 (木)

竹原信一さんは、太宰治である!!・・・?

 深夜の商品の陳列作業。黙々と・・・。
 ふいと手が止まりました。配送用バットの底に貼り付いた、1枚の
値札シール。「森ストア」か・・・・。

1001071s

 思い出したのは、かつて出水の商店街にあった「丸天マート」。
 そんなご家族で経営されいらっしゃる、小さいスーパー・マーケッ
トなのかな~~??と、想像してみたり。
 「森ストア」で検索してみると、岐阜県内にあるとのこと。

 さて、ここからが本題です。
 鹿児島県阿久根市のお隣・出水市在住、かつ一応“地域活性化を
考えつつ”、しかも実名を晒してブログを書いている者として、
 今まで、ことさらに無視してきましたが、
 すでに全国のその名を轟かす、
 “ブログ市長”こと、阿久根市長・竹原信一さん、

 ハイ、とてつもない存在感でアリマス。
 その竹原信一さんのブログ(今まで、決してリンクを貼ることを
しませんでしたが)

 ・住民至上主義

「■2010/01/05 (火) 成人式式辞
 を、こちらにも転載させて頂きますm(__)m。
『式   辞 
                         
「新成人の皆様 本日は誠におめでとうございます。」普通はこのようにご挨拶
をするところでありますが、実感を申し上げれば、今の所、これからの社会はな
かなか生きにくい社会になってきそうです。
私たちは「競争することでより良い社会を作ることが出来る」と習ってきました。
しかしその考え方は既に破綻しています。今、日本では貧富の差が拡大しながら
貧困率が急上昇しています。
頑張って生産性を高めれば逆に失業者が増えるというありさまです。これは変え
なければならないし、変えることができると私は考えています。

私たちには、いつも何かが足りない、でもその正体が分からないという感じがあ
ります。足りないのはお金ではありません。満足感です。もっとはっきり言えば
今の社会では精神的なエネルギーの使い方を間違っているということです。精神
力をひたすら自分を満足させるためだけに使えば、それをやめることが出来なく
なります。麻薬中毒患者のように禁断症状が現れて他人から奪う癖までついてし
まいます。
いわゆる富裕層の中には金の亡者がたくさん居ます。そのために貧困家庭が増え
る一方で超高級品の需要は減らないということがおきているわけです。

満足感を得る方向を変えなければなりません。私たちは数限りない人々の働きで
今の暮らしがあります。たくさんの方が苦労して残した文化や発明品、建造物、
道路などのほか太陽や海、山、川などの働きで今があるわけです。誰も個人の力
では生きていません。私たち人間というのはいつの間にか生まれて生きて死ぬ、
この流れの一部に過ぎないのです。
今の社会は地獄に落ちた餓鬼たちの様に、人を踏み台にしてひたすら上る競争し
ているのと同じです。
この競争をやめ、私たちが進んで底辺の苦労を共有するようになれば、競争の勝
ち負けに関係なく幸福感と安心感で満たされる社会を作ることが出来ます。
苦労から逃げれば、苦労を他人に押し付ける文化が次の世代に引き継がれていき
ます。
次の社会のために進んで苦労を引き受けましょう。私はそこに人本来の満足感や
幸福感そして希望があると信じています。
進んで苦労を引き受ける皆さんに期待します。

平成二十二年一月五日
阿久根市長 竹 原 信 一                     
 』

 この式辞を聞く羽目となった新成人の方々って・・・・・・。
 いやいや、むしろ、あの!“ナマ”竹原市長を見ることが出来る!!、で会場は
大盛り上がりだったとか・・・・・。
 いやいやイヤ、新成人の方々にとっては、心はすでに、式後の“同窓会”にあっ
たのやら?

 すでに中年オジサン、かつては新潮文庫の太宰治本をすべて読破した、元少年と
しては、ここで太宰治を、竹原信一さんに重ね合わせてしまいます。
 以前にも、拙ブログに引用しましたが、もう一度、

・・・
突然、お隣りのラジオがフランスの国歌をはじめまして、夫はそれに耳を傾け、
「ああ、そうか、きょうは巴里祭(パリさい)だ。」
 とひとりごとのようにおっしゃって、幽(かす)かに笑い、それから、マサ子と私
に半々に言い聞かせるように、
「七月十四日、この日はね、革命、……」
 と言いかけて、ふっと言葉がとぎれて、見ると、夫は口をゆがめ、眼に涙が光って、
泣きたいのをこらえている顔でした。それから、ほとんど涙声になって、
「バスチーユのね、牢獄を攻撃してね、民衆がね、あちらからもこちらからも立ち上っ
て、それ以来、フランスの、春こうろうの花の宴が永遠に、永遠にだよ、永遠に失われ
る事になったのだけどね、でも、破壊しなければいけなかったんだ、永遠に新秩序の、
新道徳の再建が出来ない事がわかっていながらも、それでも、破壊しなければいけなか
ったんだ、革命いまだ成らず、と孫文(そんぶん)が言って死んだそうだけれども、革
命の完成というものは、永遠に出来ない事かも知れない、しかし、それでも革命を起さ
なければいけないんだ、革命の本質というものはそんな具合いに、かなしくて、美しい
ものなんだ、そんな事をしたって何になると言ったって、そのかなしさと、美しさと、
それから、愛、……」
 フランスの国歌は、なおつづき、夫は話しながら泣いてしまって、それから、てれく
さそうに、無理にふふんと笑って見せて、
「こりゃ、どうも、お父さんは泣き上戸(じょうご)らしいぞ。」
 と言い、顔をそむけて立ち、お勝手へ行って水で顔を洗いながら、
「どうも、いかん。酔いすぎた。フランス革命で泣いちゃった。すこし寝るよ。」
 とおっしゃって、六畳間へ行き、それっきりひっそりとなってしまいましたが、身をも
んで忍び泣いているに違いございません。
                                    ・・・・』

        (太宰治「おさん」より。青空文庫よりコピーさせて頂きましたm(__)m。)

 作者・太宰治の投影であろう“夫”に言わせる、セリフ・・・・。

 ・・・・と、ここまで連想して、ふいと思い至ったこと。

 太宰治は、その作品・そのデカダンスな生き方を完結させるために、最後には自殺(自裁?)
を選択せざる得なかったこと。

 いや、イエ、ん、なことは~ない!、
 もう一回、太宰治の作品を引用して、
・・・・・
 アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。

                                   ・・・・・』
              (太宰治「右大臣実朝」より。同じく、青空文庫よりm(__)m)   

   竹原さんって、まだまだ1200%“暗い”ですよね?

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竹原信一さんは、太宰治である!!・・・?を参照しているブログ:

コメント

「竹原信一さんは、太宰治である!!・・・?:」,こうした発想は浮かびませんでした。

 私のブログでも,竹原市長を取り上げています。お手すきの時,アクセスいただければ幸いです。

  
  ▼ 阿久根市 竹原市長 - 「なぜ,過激な行動をとるのか 2」     
  
   http://blog.goo.ne.jp/rk_kobayashi/e/129e52b04d931ef6b0abb2cf6f3105ff

 小林先生、いつもお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

 遺された作品の中の太宰治と、現実身近に太宰と接した方の太宰像は、少し異なるようですね。

 さて、竹原さんの「言行」は、どこまで一致されているのでしょう?

 阿久根市議さんのブログを拝見すると、上に引用させて頂いた「成人式式辞」。会場は、やっぱりどよめいたとか。

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