(日本経済新聞のサイトから、無断転載です。m(__)m)
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吉川庄一・元プリンストン大教授が死去
2010/11/13
吉川 庄一氏(よしかわ・しょういち=元米プリンストン大教授)4日
(現地時間)、心筋梗塞のため死去、76歳。連絡先は米国カリフォルニア州
バークレー市ホプキンスストリート1958の喪主で長女、陽子さんの自宅。
お別れの会は12月11日午後2時からニュージャージー州プリンストン、カー
ネギーセンター102のハイアットリージェンシープリンストン。
専門はプラズマ物理学。核融合研究の権威として長く米国で活躍した。
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実は「吉川 庄一氏」とは、私の母の兄、つまり“伯父”です。
昨晩、千葉の両親に電話をした際、聞きました。
・・・・・・・・・・・・
で、その母からして、日本経済新聞のこの死亡記事を目にして、初めて
兄の死を知ったのだと・・・・・・・・。
マッタクモッテ、ワガ家ラシイ・・・・。
自分の思い出に残っている“庄一おじさん”といえば、自分は中学生、
祖父(母・叔父の父親)の法要で一時帰国されていた時のこと。
我孫子の家に遊びにいらっしゃった、ある冬の日。
居間の暖房として稼動中のエアコンを見上げて、
「日本の気候には、一番合理的な暖房だよな~」
と、おっしゃっていましたっけ。
(日本の、ことに関東地方の寒くても0度付近までしか気温が下がらない
気候の下では、外気と熱交換をしながら室内の空気を温める、エアコンが
経済的に稼動する、といった意味)
う~~~ん、ある意味、とっても専門家のコメントであったんだな・・・・。
さて、「吉川庄一」で検索してみたわけですが。
『大河千弘と核融合研究』(PDF形式です)
最初の一節を引用させて頂きます。
『1. はじめに
核融合研究が各国で本格的に始まった1960 年代,日
本人研究者は世界各国の研究機関で活躍を始めた.そ
の中でも,米国ガルフ・ジェネラル・アトミック(GGA)
所属の大河千弘とプリンストン大学所属の吉川庄一は,
それぞれの所属した研究機関の中で,早くから研究を
指揮する立場となり,核融合研究の推進に寄与した.
大河と吉川の活躍は国際会議の席上でも顕著であった
様で,同席した当時名古屋大学プラズマ研究所所長の
伏見康治によると,“国際会議の席上ではUSA と書か
れたネームプレートを提げた日本人(大河と吉川)が流
暢な英語で質問をする光景が話題になっていた”とい
う.核融合分野における日本人研究者の国際進出の先
駆けとなった両研究者の研究経歴は,核融合研究開発
の歴史の中で注目すべき事柄である.
・・・・・・・・』
俗な甥としては、
もう少し長生きしていれば、ノーベル賞に届いたのか・・・・。
さ、
わが鈴木五郎、残りの人生をどう生きるか?
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