球磨川流域を訪れるなら、一度は観ておきたい!
ホットなニュースの現場です。
大規模なダム撤去工事としては、全国初だそうです。
荒瀬ダム撤去工事の現場。
2018年3月まで続けられる、結構壮大な事業。
この写真では思い浮かべづらいのですが、下の写真の右側は、以前は“湖水”でした。
自分が小学生の時、学校の図書館に『少年少女 20世紀の記録』(あかね書房刊)
というノンフィクションシリーズがあり、
その中の一冊「黒部ダム物語 マンモス・タンカー物語」を読んだことを思い出しました。
また、小学5年生の遠足で、完成したばかりの神奈川県酒匂川に築かれた三保ダムを
見学に行きましたっけ。
そんな時代から、ダムが撤去されて、本来の川の姿が甦る・・・・・時代へと。
こちらは、私にとって大変思い出深い道の入り口。
かつては「川島分校へ 6キロ」の道しるべがありましたが、今はなく・・・・。
そして、こちらは、その川島分校の本校にあたる球磨村立神瀬小学校跡。
私が野宿道具を背負って球磨川流域を歩いていた頃には、まだランドセルを
背負った子供たちが通う姿を目にすることが出来ましたが、今はその姿はなく。
風邪ひきのくせに、かえって風邪薬に興奮成分が入っていたのか、妙にテンションが
高い状態です。うむ・・・・・、この肥薩線・人吉ー吉松間、とても楽しい時間を過ごす
ことが出来,久しぶりに、新聞へ投稿をしたくなっている状態なもので。
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こちらは、肥薩線の中では、唯一宮崎県内にある駅・真幸(まさき)駅です。
「真の幸せ」を呼ぶ駅として、「幸せの鐘」が設置されている駅です。
ハイ、私たちも、しっかり鐘を鳴らさせて頂きました。
ふと疑問に思ったのですが、客室乗務員さんは「昔は、駅員さんが運行の安全を
祈って、鳴らしたものです」と説明してくださりましたが、現実的に、霧がとても深い
時に「霧笛」代わりに鳴らされたのでは?。そんな資料は、残っているのでしょうか。
大畑・矢岳・真幸という三駅の中でも、駅舎は一番こじんまりしておりますが、
地元の方々によって、駅舎には、いろいろ“小道具”が飾られております。
写真の机は、「真幸小学校」というシールが貼られており、郷愁をそそります。
そして、何気なく「真幸小学校」で検索してみたら、エ~~ッ!!!!今でも
現役の小学校として在るのですね・・・・・。お見それしました。
そして、終点・吉松駅。
(私たちは、「いさぶろう」で吉松まで来て、「しんぺい」で人吉まで戻っての、一往復を
乗車したのですが)
熊本から肥薩線を利用して、鹿児島中央駅に至る周遊コースに、人吉ー吉松間の
“矢岳越え”も組み込まれており、観光路線として、しばらくは安泰なのかな・・・・・
とは思いますが、安心はしていられないのでは。
かつて、長野新幹線の開通に合わせて、信越本線・横川ー軽井沢間の“碓氷峠越え”が、廃止されております。(観光路線としての存続も検討されたのでしょうが)
また、自然災害により路線に甚大な被害を被り、復旧の目途が立たないまま、廃止
・・・・・となった鉄道路線は、むしろ近年増えているのではないでしょうか。
(もともと輸送乗客数が少なければ、費用をかけて復旧させる価値を見いだせない?)
外国人のご家族連れが目立った『SL人吉号』と比べると、『いさぶろう・しんぺい』は、
一人旅“鉄道マニア”風の方の姿が、ぐっと増え。
やや通好み?の区間でしょうか。
いやいや。
日本の近現代史の息吹を、乗ることで体感できる肥薩線・人吉ー吉松間、
一度は乗らなきゃ損!であります。
お奨め度 ☆☆☆☆☆☆
(この項、おしまい)
*つけたし。
車内販売で、購入させて頂きました。
私が小学生の頃、もちろんJRではなく国鉄であった頃。
この肥薩線を、急行列車に乗って通った親父が、こんな土産話をしてくれましたっけ。
「きれいに掃き清められた、チリひとつ落ちていないホームを、制服をピシッと着こんだ
駅長が、ツカツカッと歩いてきて、発車の合図をするんだぜ~」。
当時は、国鉄は“赤字垂れ流し”として、批判の槍玉に上げられていた時代。
(一日に数本しか列車の来ない駅にも、駅長のような“お偉いさん”が居て、することと
いえば、駅の掃除だぜ)
という皮肉のニュアンスが篭められていた訳ですが。
矢岳駅。標高539.6m、肥薩線で最も高い場所にある駅。
映画『鉄道員(ぽっぽや)』の世界でしょうか。(とかなんとか、私はまだ観ておりませんが)
守るべき職場として、駅に仕えた方々の息吹を感じられませんか・・・・。
吉松駅待合室に掲げられている、かつてのD51(デゴイチ)の勇姿。
昭和の高度成長期には、近隣の山々から伐り出された木材を輸送する路線でも
あったのでしょう。
(つづく)

ごろごろ
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